広報誌特別企画 二世代対談

災害について

鈴木一生(聞き手、以下一生)
茂木義明先輩、健太君、二世代対談を快諾いただきありがとうございます。大曲青年会議所2017年度総務広報委員会委員長、鈴木一生と申します。本日はよろしくお願いいたします。親子だから話せること、当時の青年会議所と今の青年会議所の違いなど、いろいろお聞きしたいと思います。早速ですが今回、大仙市でも災害がありました。幸い今のところ死者等は出ていないようですが、先輩が現役のころには大きな災害発生し、それをメンバーが支えたというようなことはありましたか?

茂木義明先輩(2世代会員の父、以下義明先輩)
こちらこそよろしくお願いいたします。私も青年会議所を卒業してからもう20年も経つので記憶が定かでない部分もあるかもしれませんが、答えられる限り質問にお答えします。こちらこそ、よろしくお願いいたします。で。まずは災害についてだったね。青年会議所みんなでの災害復旧とか、そういう活動をした覚えはあまりない。卒業してからは台湾大地震があって花火師のメンバーが台湾で花火を上げて元気づけていたのが記憶にある。

茂木健太君(2世代会員の子、以下健太君)
一生委員長、よろしくお願いします。台湾花火節だね。海外に火薬を持っていくのにすごく苦労されたというお話を聞いたことがあります。 今であれば東日本大震災の時に青年会議所としてトラックを集めて、物資を届けに行ったりしていますね。当時の理事長を始めとするメンバーも被災地に向かったそうです。

一生
大仙市でも今回の水害でボランティアセンターが立ち上がっていましたね。メンバーも時間作って作業しています。

メンバーの人数について

一生
先輩が活動されていた頃は、何名ほどの会員がいらっしゃったのでしょうか。

義明先輩
110名~120名でしたね。息子が入会した時に「今何人いるの?」と聞いた時に60人と聞いて、よくそれで運営していけているねと言った記憶があります。私からするとせいぜい100人くらいは欲しいと思ってしまいますね。

入会のきっかけ

一生
入会のきっかけを、健太君からお聞かせください。

健太君
父からは青年会議所の話を聞きました。地元の先輩からお話を聞きましたが、仕事で秋田市にいることが多いので、正直大変そうだなと思いました。しかし、父にも押され青年会議所の説明会に行って熱心に勧誘いただき、当時の理事長からも「健太君!まず一緒にがんばるべ!」といわれ、「ここまでしていただいたのだったら入会するか!」と思い入会しました。

義明先輩
同級生が勧誘に来ていました。私が商売を始めたのが平成元年だったので、2年くらいしてから彼が来て「青年会議所っていうのがあって、人も覚えるし、今仕事始めたばかりなら是非入会した方がいいよ。」というので入会しました。同級生で会社立ち上げた人は少なかったけど、彼のことを尊敬していたし、精神的に立派な考えを持っていたし、行動力もあったし、いろんな人も覚えているし、付き合っていくと彼に友達がたくさんいたらその友達を覚えることになるじゃないですか。

一生
なるほど、おっしゃる通りですね。

義明先輩
時間も束縛されるしいろんなことをやらなくちゃいけないし、それは人生においては人を使うことになる、経営者となれば皆を動かさなければいけない、そういう勉強の場だと思います。

派閥から若い団体へ

一生
当時と現在の印象はどうでしょうか。例えば今の理事会は感情的なやりとりはないのですが、昔はどうだったのかといった

義明先輩
その辺は理事長経験者のほうが面白い話が聞けると思います。三役になるとその人たちがまとまると思っていた。理事会でも定例会でもその人たちの付き合いがあって、二次会も同様で、我々は一線を引いていた。あまり良いことではないと思っていた。仲良しグループの派閥が政治同様にあるのはしょうがない。だからOBで呼ばれていくにしても理事長クラスの経験者ではないので、出席を遠慮している部分はあるが、息子がいるので出ていく、という部分もある。

健太君
それはあるかもしれません。OB交流会にしても参加されるOBは20人くらいだがOB全体では200人いるのですが、やはり理事長等の経験者が出席者の大半を占めている印象があります。

義明先輩
役職もつかない人間が行ってもだれも私のことをわからないのではないか、という気持ちがある。参加してみると紹介されるが、周りにいる理事長経験者と比較すると、場違いな気分になる。

一生
三役の人たちがまとまっていたとお話がありましたが、健太君はどのように感じていますか。

健太君
新しい人が増えてきて、若い団体になってきた気がします。入会当初は武闘派のような印象でその人達が激しく討論して、それから飲みに行っていたという印象です。最近は飲みに行く回数が少なくなってきていると感じています。

義明先輩
11時12時まで真面目に委員会を行いそれから飲みに行くようだが、会議は2時間なら2時間で終わらせ、飲みに行って話をしたらいいと思う。よく言えば真面目になった。ダラダラ長く4時間行うのではなく、決めることを決めて、終わらせたほうがうまくいくと私は思う。ただ、最後は委員長次第です。

一生
ありがとうございます。次に、青年会議所の対外に対する認知度はどうでしたか.

義明先輩
なんだかんだあれば市長や駅長・警察署長を巻き込んで事業を行った。市長からは頼りにされていたと思う。その付き合いを大切にしていけばいい。三役は市長や地域振興局長のところへ行っていた。逆に今はどうなのか。

健太君
今もあります。老松市長も副市長時代から一緒に台湾へ行き、向こうの青年会議所の40周年記念式典へ参加してきました。先日の大曲青年会議所45周年記念式典でも非常に好意的でした。仙北市や美郷町も好意的だと感じています。

義明先輩
門脇市長も発想が固くなく、新しいことをどんどんやっている。松田町長も柔軟な人です。

馴れ合いが強すぎる

一生
次に、当時の組織図や活動の範囲などについて教えていただけないでしょうか。

義明先輩
結構あったし、年度や事業によっても変わっていたと思う。 アカデミー、青少年育成委員会、まちづくりなど。当時は大曲と他の町村は別々の行政単位だったので、夢降るまち大仙というキャッチフレーズがあった。以前も大曲仙北郡が活動範囲だったので、活動範囲は今と変わらない。角館方面の現役メンバーはいるのか。

健太君
角館と西木のメンバーがいます。

義明先輩
青年会議所は横手から大曲までない。美郷町から秋田の手前、協和までが活動範囲だった。120人くらいの会員が在籍しており、10から12くらいの委員会があった。

健太君
今は4つです。理事会には副委員長も参加して、委員長は上程台というところに立って上程していますが、昔はどうでしたか。

義明先輩
理事会は月1回で副委員長は出席していなかった。委員長の上に3つの委員会をまとめる室長という役職の方がいましたね。

健太君
その年ごとに理事会スタイルは違いますからね。

義明先輩
人が多ければそうなるよね。ただ、メンバーが少なくなっているのだから、しょうがないと思う。

健太君
青年会議所ルームってどこにありましたか?

義明先輩
当時は上大町のマンションの2階にあった。

健太君
初めて聞きました。

義明先輩
ジョイフルシティの裏とか、何回か移動しているんだよね。その当時は8畳1間でやっていた。

健太君
今はだいぶいいですね。広いし、倉庫もありますし。

義明先輩
今どこにあるっけ?

健太君
駅前郵便局の上です。3階まで上がるのはしんどいですが。

義明先輩
委員会もそこでできる?

健太君
やっています。

義明先輩
我々のころは、各委員会で場所を探してやっていたな。公民館とか。青年会議所ルームは小さいからね。今なら厚生医療センターの2階を借りたりもできるよね。

健太君
あそこ確か9時までしか借りられないんですよね。

義明先輩
固定観念があるんだよな。時間を区切って9時までに終わらせようとすると、いろいろなアイディアが出るものだよ。

健太君
少し話が変わるかもしれませんが、副理事長は我関せずのようなところがあります。みんな真剣に話している時に仕事していたりします。「副理事長も委員と同じ立場ですよ」と言いました。やはり、みんな忙しい時間を縫って仕事を投げてきているのだから。でも、それ言ったらパソコンを閉じて委員会に参加してくれるようになりましたね。

義明先輩
それは言ってもいいと思う。嫌われることもトップに立つことの条件だから。何でも好かれればいいというわけではなく、嫌われなければいけないと言うことも多々ある。

健太君
深いですね。

義明先輩
言われてもこっちが正論だとすれば、堂々と言うべき。歳ではなく、委員長という立場があるし、委員もわかっていることだから応援してもらえると思う。逆に言えないと、「委員長なのに言えないのか」と思われてもね。

健太君
私も周りがみんな歳上だったからわかりますが、やっぱり言わなきゃいけないことは言ったほうがいいんですね。

義明先輩
ただ、生意気になってしまうとダメなんだよ。そこをしっかりわきまえて、先輩の顔を立てながら、言い方に気をつけて言わないといけない。

一生
本当にその通りですね。

新入会員拡大について

一生
ところで、新入会員の勧誘方法はどうでしたか。昔は審査のようなものがあり、面接があったと聞いたのですが。

義明先輩
うちらの時は面接というか、理事会で候補者が上がり、審査をした上で入会としていた。候補者の詳細については、推薦者が照会をしていた。

健太君
身辺調査の様ものですか?

義明先輩
そうそう。ちゃんと会費を払えるかとか、そういったところまでも話し合っていた。

健太君
現在は、推薦書が理事会で回覧され決議を取るという方法になっているが、人柄や働きぶりというように推薦書に書かれていないような内容をもっと説明してもよいのではと思います。

義明先輩
確かに性格等についてもっと認知しておく必要はあるように感じる。

健太君
酒癖が悪いとか事前に聞けるといいですね。

義明先輩
新入会員は欲しい所だが、現状の入会審査の方法については、後々のリスクを考えると少し考えた方が良いかもしれない。

健太君
入会候補者に対しては、最初から活動について難しい説明をしてもハードルが上がってしまうので、「一緒に楽しいことをやろう!」というアプローチでないと会員拡大は難しい気がします。

義明先輩
勧誘はそれでいい。ただ、理事会での審議は踏み込んだ内容にしないといけない。最初からそう言った話をしたら入らなくなってしまうから。

現役へ

一生
ではここで、現役メンバーに対して思うことを教えていただけないでしょうか。

義明先輩
今はちょっと馴れ合いが強いように感じる。先日の45周年祝賀会の時でも、数人で談笑している姿も見えたし、きちっとしたもてなしを示すべきだったと思う。人数が少ないせいもあるかもしれないが、規律をもう少し持ってほしい。理事長は本当に忙しいから、それを補佐する専務以下のメンバーがもう少し機能してほしい。

OBへ

一生
では逆に、現役会員からはOBはどのように見えていますが。

健太君
OBに対してあまり良い印象を持っていない時期もありましたが、45周年祝賀会で使用したガムシャラスーツの制作をお願いした時やセミナー講師を依頼した時など、面と向き合ってみるととても協力的だったり、理にかなった助言をくれたりする先輩もいらっしゃって、感謝しています。厳しい事を言ってくれる方は現役ではあまりいませんし、OBとしての応援の気持ちなのだと思っています。そして、ただ言ってくれるだけではなく、事業に参加してくださるとか協賛してくださるという面も期待したいです。

一生
OBはOB、現役は現役でそれぞれ思うところがあるということですね。9月のOB交流会では積極的に会話してみたいと思います。

連絡方法について

一生
話は変わりますが、当時は携帯電話もあまり普及してなく、メンバーと連絡をとるのも大変だったのではないかと思いますが、連絡の取り方や委員会の出席状況はどうでしたか。

健太君
現在は携帯電話やLINEで連絡を取り合っていますが、当時はどうだったんでしょうか?

義明先輩
当時は電話とポケベルを使用して連絡を取り合っていたが、委員会開催時に次回の委員会の日時を決めると大抵のメンバーが集まっていた。出席率が高かったからね。

一生
当時大変だったと思うことをお聞かせください。

義明先輩
当時の記憶としては大変だったと思うことは無かったね。とても楽しく過ごさせてもらった。あまり上の役職を担当しなかったからかもね。委員長の職務だけだったからそんなに堅苦しくなかったし、楽しかったね。それが理事長や専務理事だったとするとそれどころじゃなかっただろうけど。当時の会頭は総理大臣よりも忙しい、というような話もあったよ。とにかく青年会議所は楽しく過ごさせてもらった。青年会議所でなかったら絶対出会わなかったし、多くの人と出会えたことが一番のプラスだった。ただ、大曲青年会議所が全てじゃないから、出向は経験してみた方が良いと思う。東北ブロックとか、上には上がいっぱいいて、色んなところに出向をした方が良いと思う。秋田ブロックに出向するだけでも、得るものは沢山あるかな。

出向

一生
出向した方がいいって聞いたことはありますか。

健太君
直接は聞いてはいないです。

義明先輩
県内各地に友達や知り合いができる。そうすれば仕事においても県内いろんなところで仕事をするわけだ。そうすると、そのツテで関係する業種、例えば左官屋に知り合いがいるから紹介するとか、そういうのが多々ある。

一生
それは素晴らしいですね。まさに青年会議所に入ったからできた人脈ですね。では健太君、大変だったことは?

健太君
委員長になったタイミングが、セルコホームってところのフランチャイズをもともとやっていて、それから「インデュアホーム」に切り替わったときでした。尚且つ、スタッフもちょっといなくなったりしていて、そのインデュアホームも立ち上げなきゃいけないし、おしごと学校やらなきゃいけないし、本当にあの時は「これ、死ぬな」と思いました。それで時間の使い方を覚えて、結果それは良かったかなと。タイミングが大変でした。委員長を前に経験していればよかったんでしょうが、一発目の委員長で、一番年下だから先輩方を動かせないだろうって感じでした。

義明先輩
大変だけど、それが身になるから。

仕事と青年会議所

一生
ありがとうございます。続きまして、理事長からの質問です。仕事と青年会議所とのつきい合い方について教えてください。

義明先輩
さっきも言ったけど、青年会議所に没頭しすぎないということ。自分の仕事を、やるべきことをやって、青年会議所に行かなければいけない。よく勘違いをして、青年会議所がメインになって、仕事がサブみたいになって、それで会社を倒産させる人が大曲だけでなく、全国にいっぱいいる。そこをはき違えないように。やはりメインは仕事なわけ。仕事があっての青年会議所だから、その順番を間違えないように。あと、だんだん要領が良くなれば朝早く仕事に出て自分の仕事をやって、やることを終わらせてから青年会議所に行くとか、やり方を工夫できるようになる。

一生
お二方の思い出に残っている事業を教えてください。今回は先に健太君。

健太君
今現在ではおしごと学校かなとは思います。これから青年会議所を続けていてこれ以上の出来事はあるのかな、という思いは正直あります。ベテランの先輩が、企画から準備に入ったタイミングで1か月くらい抜けてしまって、初委員長だったので右も左もわからず。そういった紆余曲折を経て、成功に終わったっていう充実感・達成感は最高でした。一緒にやり遂げたメンバーとは今でも交流がありますし。

一生
2回目3回目のおしごと学校と自分が創った時のおしごと学校の違いを、今度の機会にぜひ教えてください。

一生
義明先輩は大変だったことがなかったと先ほどお聞きしましたが、思い入れのある事業を教えてもらえないでしょうか。

義明先輩
大変だって思わなかっただけで、やるときはみんな大変なのよ。ただ、終わればいい思い出になるのよ。当時はいっぱいいっぱいだったから。で、いろいろと思い入れのある、思い出に残っている事業はあるけどやっぱりキッズクラブかな。ペットボトルロケットをやったり、ゴミ問題を考えたり。測量機械を使って60メートル飛んだとかを子ども集めてやったり、それから田沢湖高原にいって一泊したり、とか。あと、お寺で座禅もしたな。協和のお寺に行って、夜花火なんかして、朝起きたらお寺の住職の話を聞いて、そこで野菜だけの肉はないカレーという精進料理食べるなんて体験もした。

一生
すごいいい事業ですね。

義明先輩
子どもたちは夏休みだしけっこうよかったと思う。けっこう集まったよ。20人から30人くらいは。そうゆうのを3つ4つ事業としてやったな。

一生
参考にさせていただきます。

父から子、子から父へ

一生
では、お父さんからが息子さんにに言いたいことをお願いします。

義明先輩
いっぱいあるけど(笑)。要するに青年会議所に入って自分が何をするべきか、何を得るべきか。青年会議所に入って得るものがなければやめればいいし、そこは自分で考えているとは思うけれども。俺は、人との関わりを持った、関わり方が大事だって学んだし、青年会議所って経営者の集まりだから、いろんな考え方を持っている人がいる。それを正しいとか正しくないとかいうのは、自分の固定観念なだけで、本人にすればそれが正しかったり、俺から見れば間違っていたり、そういうのを議論することが本当は青年会議所なんだよ。表だけの付き合いで、5年も6年も付き合っても全然その人の事わからなかったりする。けれども、深く付き合えば、コイツなんだかんだ言うけれどもイイ奴だなってなったりする。ゴルフも1日付き合えばわかるんだよ。いっつもはいい人がOBばっかり出して、キャディーさんを怒ったりするんだよ。「お前がちゃんと見ないから駄目だ」とか。それって、やっぱり性格がわかるんだよ。例えばだけど、林の奥に行っているのに手前でボール出して有ったっていう人もいる。だから神様が一番分かっているの。神に誓ってお前は正しいっていえるかと。そういう所のお付き合いをしてほしいと。深い意味で付き合わないと人ってわからないから。表でどれだけえらいことを言っている理事長だって、いいことばかりじゃないし、悩みもいっぱいある。そういうのを聞いてあげたり、答えを返してあげられなくても話を聞いてあげたり、とか。役職がこうだからその人には俺は何にも言えないとかではなくて、俺は俺でこう思っているよと言い合える青年会議所になればいいと思う。青年会議所が終わればなかなか言えなくなるから。

一生
勉強になります。

義明先輩
青年会議所で得たことは人との付き合いなんだけれども、縁がなければ、ここにいる人とも絶対に知りあわないわけ。縁がある人とは100メートルくらい向こうでも知り合うわけ。青年会議所に集まっている人も縁があって集まっているからそれを大事にしないといけない。青年会議所でいる為には縁を大切にして付き合うべき。さっきも話したけど、先輩とかは青年会議所に入らないととても話のできるような人ではないけど、銀行などの集まりにいけばほとんどわかるわけ。そういうのは青年会議所のいいところ。

健太君
私が思うのは、大曲の飲み屋と食い物屋を良く覚えたことですかね。青年会議所に入るまで、秋田市で仕事をしていたから大曲の事をあまり知らなくて、青年会議所の現役を紹介されてもどこそこの誰それさんだと言われてもわからなくて。名簿見てもこの人は凄い人だといわれてもわからなくて、へぇーっていっているだけでした。そういう意味では大曲での繋がりを持てたことと、大曲の人と知り合えたというのは大きいかなと思います。それまでは大曲のために何かしてあげたいなという思いはあまりなかったです。ただ住んでいるというだけでした。本来であれば秋田青年会議所に入るべきなんだろうけど、住んでいるのは大曲だし、大仙だからそういう意味では郷土愛を醸成したかなと思っています。

義明先輩
大曲青年会議所でいいと思うよ。働いているところでなく、住んでいるところだから。

健太君
人間関係でこの間、あるOBがすごいいいこと言っていました。「よく異業種交流会やるじゃないですか、あれって2時間くらい酒飲んで名刺交換して、そこだけだと交流ではない。一番の交流、それは青年会議所で同じ委員会で定例会に向けて委員会開いて、話し合って、酒飲んで、事業をやることだ」、って。1回酒飲むだけではその人の事は絶対わからない。で、青年会議所の中で一緒にやっていれば、家であれば引き渡し用の花とかお願いするのに、頑張っている人にお願いしたくなります。例えば一生君と今日知り合った異業種交流会の人とどっちに声をかけたいかと言えば、やっぱり一生君になりますよ。青年会議所に入ってポロシャツに刺繍やりたいんだけど、今までどこに依頼しようか迷っていたのが、今は安心して依頼できるメンバーに頼むことにしています。さらに、仕事でも繋がります。

義明先輩
仕事で繋がるっていうのは大事。

健太君
その人のことを知っていて、一緒にやりたいなって思わないと、青年会議所以外で絡むって信用がないとできないと思ってます。青年会議所に入ってそこで知り合ったメンバーから2棟ほど決めさせてもらっているので、青年会議所でやり残していることはもうないんです(笑)。っていうのは冗談で、あまり狙って仕事に直結させたいなとは思わないけれども、ちゃんとやってればそれなりに仕事をもらえたり、お願いする立場になったりするからそれが本当の交流なんだな、と聞いていて思いました。初対面だと次の日になって名刺を見て「この人誰だっけ?」となるときもあったりします。

一生
顔写真がついていなかったらわからないですよね。

健太君
もうわかんないですね(笑)。

一生
改めまして茂木義明先輩、健太君お忙しい中時間を作っていただきありがとうございました。今回は新企画の親子対談ということで、OBならでは、親子ならではのお話をお聞きできると思って楽しみにして来ましたが、期待以上のお話を聞けて良かったです。そして、この対談を多くのOBやメンバーが見てくれることを期待します。それ以外にも青年会議所に興味がある人にとって、青年会議所を知っていただけたら幸いです。